バドミントンから学んだこと

  • 2018.11.01 Thursday
  • 08:30

 

県老施協 東毛ブロック長 穂積 茂 (特別養護老人ホーム大泉園施設長)

                                                                                    

 バドミントンの原型は平安時代に中国から伝わる「羽根突き」という皆様もご存知の伝統的なゲームである。現在のバドミントンの原型は1873年にイギリス人が日本でシャンパンの栓に鳥の羽根を刺し、それをテニスラケットで打って見せたのが始まりとされている。それから約120年後の1992年のバルセロナオリンピックからバドミントン競技が正式種目となる。今や日本のバドミントン選手は世界一にまで登り詰めている。

 私がバドミントンと出会ったのは高校1年生のときでした。小学生では野球、中学生になってバスケットボール、いずれも団体競技であり自分が努力してもチームとして成績を上げることができなかった。それなら個人競技のスポーツをしようと安易な気持ちでその高校で1番強い種目のバドミントンを始めました。あまりに厳しい練習のため2ヶ月で挫折。バドミントンから離れ2ヶ月間自分自身を振り返ってみた。やっぱり自分にはバドミントンしかない、もう一度やってみよう」と再度チャレンジすることにした。その後の努力の成果で学生時代には関東全国大会に出場する事ができた。一つの目標達成にも繋がり、何事もあきらめることは簡単にできるが一つの事を最後まで成し遂げることが大切である事を学んだ。

 バドミントンとは自分の人生と共にある。何がそんないいのかとまわりの人は思うかもしれないが、シャトルを打っているときが一番楽しい。自分の思った通りにシャトルを打っても一寸した風にも影響してしまう。相手に対してフェイントをかけてのだまし合い。何が起こるか分からないところにスリルがある。どんな人にも失敗はあるだろう。要はその失敗をどう克服するかである。好きなもので楽しいなら人はだれに命令されなくたって集中するだろう。人はそれをいかに見つけられるかである。正しく私を導いてくれたのはバドミントンである。

 バドミントンを始めてから約40年、何年かのブランクはありますが現在もバドミントンを続けている。今の目的は減量ですが、これからも生涯スポーツとして続けていき大いに成長していきたい。

                                         

プロフェッショナル仕事の流儀

  • 2018.10.02 Tuesday
  • 10:18

県老施協 西毛ブロック長 中川 洋一(特別養護老人ホームなゆた施設長)

 

 910日にNHKで放送された「プロフェッショナル仕事の流儀」という番組で紹介された柴田陽子さんの言葉に深い感銘を受けました。

 柴田さんは企業や商品の価値を引き出し、新たなブランドを作りだすブランドプロデューサーという初めて聞く仕事をしており、渋谷ヒカリエのレストランフロア、ローソンのウチカフェスウィーツ、ルミネ、日本交通等の顧客のプロデュース業を行ってきた方です。

 スタッフ20名の小さな事務所の社長として常に20件以上の案件を抱える、今さまざまな企業から引っ張りだこの女性です。

 柴田さんの仕事のスタイルは「奇をてらったことや頭が良さそうな言葉を選ぶのではなく、正攻法のやり方で堂々と道の真ん中を歩くように一番シンプルで一番直球で…それが世の中を変られるくらい力のあるものになる…」というものでした。

 我々の業界は、人材不足や経営難等さまざまな問題に直面しています。だからこそ、しっかり地に足をつけ福祉や介護の本質を突き詰め、シンプルに実践していくことが大切であると感じました。道の真ん中を堂々と歩む仕事をしていきたいと思います。

「むかし、むかしの想い出ばなし」

  • 2018.09.03 Monday
  • 11:22

県老施協 中毛ブロック長 三富ますみ(特別養護老人ホームかまくら施設長)

 

「大きくなったら幼稚園の先生になる」と幼稚園の頃から憧れを抱き、小、中、高校と夢が途絶えることなく専門学校に進学した。時はバブル真っ只中、巷のOLはおじさん達にチヤホヤされ毎夜毎夜飲み歩き、おまけにお小遣いやタクシー券までいただけた時代、同期の半数は一般企業に就職した。あの頃、幼稚園教員は地味で基本給はありえないほど低かったことを記憶している。専門学校を卒業する頃には幼稚園教員になりたかった夢も希望も見失い、東京でワンレン、ボディコンでお立ち台に立っているおねぇさんみたいに暮らしたいと言う私を烈火のごとく反対し、家に縛り付けたかった両親、反発した私は就職活動を一切しなかった。親のお金で海外旅行に行き、車を買ってもらい、何不自由なく遊び呆けていた。人生なんて楽しければそれで良いじゃん、自ら苦労を買って出るなんてバカバカしいとさえ思っていた。そんなおバカな私をいつも心配し優しく教え諭して下さっていた90歳の非常勤講師、通称「おばぁちゃん先生」。

  ある日の授業で、戦前戦後の辛い時代も10年目標を掲げ自分らしく生き抜いて来た。

90歳になりこの10年間は「愛らしく」が自分の目標なのだ、と孫より若い私たちに向かってキラキラした表情で話して下さった。10代は「楽しく」20代は「美しく」30代は「賢く」40代は「強く」50代は「和やかに」60代は「豊に」70代は「素直に」80代は「優しく」90代は「愛らしく」そして100歳になったら、また美しくありたい、と首をすくめて笑った先生がやたらとまぶしくてステキだった。この話を聞いてからというもの、遊び呆けていてもグータラ生活を送っていても、心は晴れなかった。

  あと数日で卒業という頃、重症心身障害児施設から求人が来ているという情報を得た私は迷うことなく応募した。そう、苦労を買ってみよう、目標を持って自分の人生をちゃんと築いて行こうと決心したのでした。という20歳の頃の想い出ばなし。

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